『神戸ハイカラ 』 150年の軌跡

Posted on March 20, 2017

今回は六甲アイランドにある神戸ファッション美術館へ。

お目あてはこの展示会。

今年で神戸が開港されて150年。

その当時に移住した外国人との交流から生まれた『神戸ファッション』、その文化とそれに伴い発展した地場産業に焦点を当てたものです。

なんでもアリの大阪育ちのせいか(笑)、西洋文化が見事に溶け込んだ "ハイカラ" なお隣さん、神戸にはいつも憧憬を持っていましたが、今回はその魅力を探るとても良い機会。

美術館が所蔵する貴重なアンティーク&ヴィンテージコレクションの一部を拝見してきました。

今回のブログに協力して頂いたキュレーターの次六さん(左)。

女史から展示会にまつわる興味深い話をたくさんお話して頂きました。

『次六さん、お忙しい中お付き合いしていただきありがとうございました!』

 

さて、まずは開港当時、1860年代のアンティークコレクションから。

英国製のアフタヌーンドレス。

明治初期のこの時代は洋服がまだ日本に普及していないので、すべて海外からの輸入品(なのでマネキンも外国人女性)。

もちろん大量生産の技術もありません。

驚いたのが、今回のマネキン。

サイズ規定された既製品に着せるのとはワケが違い、この時代の洋服はすべてオーダーメイドの個人サイズ。その為、1868年〜1940年までのものは美術館が衣装に合わせてボディーを作成したそうです。

当時のシルエットでしかも100年以上前の洋服。ほんと些細なことでダメージがつくそうで、作るのも着せるのも相当大変な作業だったはず。。。

ちなみにこの頃のイギリスは”大英帝国”と呼ばれ、栄華の絶頂を極めたヴィクトリア期。洋服を通してその時代の華やかな雰囲気が伝わってきます。

1870年代に造られた外国人居住区にはイギリス人の他、フランス、オランダ、ドイツ、中国の人が居住していて、当時からサッカー場やテニスコートがあったぐらい賑わっていたそうです。

豪華な刺繍があしらわれたこちらのドレスは1880年代製。

この頃には洋服を着用する日本人が増えてきて、このマネキンのように純和風の髪型に西洋のドレスを纏った貴婦人が、神戸の街を歩いていたことが想像できます。

この時からすでに『神戸ファッション』が始まっていたとは。。。

そして、目を惹くのがウエストの細さ!

当時のウエストサイズの標準はなんと45cm。

19世紀のヨーロッパではコルセットは貞淑な女性としての義務になっていたようで、

細いほど婚活が有利になったそうです。

体格の違う東洋人、特に当時の日本人なら尚更キツかったような。。。

この頃に、日本洋服商の始まりと云われる、英国人カベル氏の仕立て屋が居留地で開業され、その後カベル氏の一番弟子である柴田音吉氏が、神戸で『柴田音吉洋服店』を開業(1883年)。

こちらのモーニングは1920年代製。

ウィングカラーとアスコットタイも同じ時代のものだと思います。ちなみにアスコットタイは、英国貴族が由緒あるアスコット競馬場でウィングカラーシャツに合わせて着用したのがその起源。

足元のプレーントゥは1930年代の英国製。

この時代、欧米社会のメンズファッションで最も影響力があったのがイギリス王子『ウィンザー公』。

彼の影響でドレスシューズやウィンザーノット(ネクタイの巻き方)などが流行しました。

ヨーロッパのアンティークフェアで時々この時代のピースが出てきますが、これほど状態の良いものは中々お目にはかかれません。。

この頃からすでに『履き倒れの街』としても有名だった神戸。その歴史は、居留地に住む外国人の靴を雪駄や下駄を作る日本の職人が修理していたことに始まるそうです。

後の『ケミカルシューズ』(革以外の科学製の靴)の発祥地といわれる神戸長田地区では、1960年代に全国でその生産の8割を占めるほど成長しました。

1920年代頃のワンピースと松蔭高等女学校の制服 (1925年)。

戦前の日本の制服というと、質素で簡素化されたイメージを持っていましたが、この頃の日本は第一次世界大戦後の好景気で、”大正デモクラシー”と呼ばれた華やかな時代。

既製品のユニフォームとはまた別の個性を感じるデザインです。

当時のアールデコ風のユニフォームと帽子、そして三つ編みのお下げをミックス。。。

神戸の女子はいつの世もおしゃれに見えます(笑)

 時代はずっと進んで、こちらは1960年代のワンピース(個人蔵)。

ミニスカートの女王として有名なモデルのツイギーが来日したのが1967年。

当時世界中を席巻していたイギリスのストリートカルチャー、”スウィンギング・ロンドン” が日本でも流行した頃のものです。

この後日本は大阪で万博を開催し、高度経済成長の時代へ。

神戸では全国に先駆けて『ファッション都市宣言』(1973年)を提唱。

港町として輸出を中心に発展してきた製鉄や造船という製造業にかげりが見えてきた頃で、ファッション産業というソフト路線への変更は、現在の神戸にも繋がる重要な転換期でした。

微笑ましくなるのが当時のスナップです。

両親世代の人かな?

インスタグラムとかのSNSと違って、素朴なポーズと距離感も最高。

 1970年代〜90年代のコレクション。

DCブランドやファッション雑誌の多様化、渋カジの台頭など、日本のバブル期から終焉までのこのピリオドは、自分の人生にとっても深く関わりのある時代。

コムデギャルソンやイッセイミヤケなどのジャパニーズデザイナーズは、いわゆる”懐かしいヴィンテージアイテム” になります。

とはいえ、今見ても新鮮なスタイルにこの時代の勢いを再確認しました。

 

西洋文化の窓口を担い、映画やジャズなど国内の発祥地として、

そして『真珠加工』や『洋菓子』、『清酒』などの地場産業など、この街の魅力を数えるとキリがありませんが、各時代の洋服を通してその ”計画的で豊かなライフスタイル” が垣間見れた展示会でした。

写真(上)は六甲山山頂から。

神戸の良き思い出のひとつが、幼少の頃に連れて行ってもらった神戸ポートアイランド博覧会(1981年)。

『新しい海の文化都市の創造』をテーマに当時大盛況した”ポートピア”は、この六甲山を削り、その土であの人工島を建設していたなど、その頃は知る由もなかったのですが。

英語で文化を意味する "Culture" の語源は、ラテン語の "Colere"。

意味は『耕す』です。

 

震災を経て、あれから30数年。

 

なるほど。

 

なるほどです。。。

 

 

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